ジョセフ・スミスはノーブーで多妻結婚を実施する

1840年初頭,

イギリスの聖徒たちはアメリカの聖徒とともに集合するために,
それぞれの故郷を離れました。


1841年4月,

主の戒めに従い,
預言者ジョセフ・スミスは多妻結婚を再開し,
ノーブーでルイーザ・ビーマンと結び固められました。
(1830年代半ばに,
                  ジョセフ・スミスはオハイオ州カートランドにて,
                  多妻結婚の妻ファニー・アルジャーと結婚していました。)


1841年10月24日,
オーソン・ハイドはアブラハムの子孫の集合に向けて,
聖地を奉献しました。


1840年6月6日

イギリスの改宗者から成る最初のグループが,
アメリカの聖徒に加わるためにイングランドを離れた。


1841年4月5日

ジョセフ・スミスがルイーザ・ビーマンと結び固められた。


1841年4月20日

ブリガム・ヤングと他の十二使徒定員会の会員6名が,
イギリス諸島における伝道からイリノイ州ノーブーに戻った。


1841年10月24日

オーソン・ハイドが聖地を奉献した。



『聖徒たち—末日におけるイエス・キリスト教会の物語』

第1巻「真理の旗」1815-1846年,

36章


主の戒めに従い,ジョセフ・スミスはノーブーにおいて多妻結婚を行う


恐らく旧約聖書の霊感訳に従事していた1831年初頭,預言者ジョセフ・スミスは天の御父に,なぜ古代の預言者やイスラエルの王たちの幾人かは多妻結婚を行っていたのかを尋ねたことを説明します(教義と聖約132:1参照。創世16:2;25:6;29:28;出エジプト21:10;サムエル上25:43も参照)。多妻結婚とは,一人の男性が複数の妻を持つという慣習です。



聖文には,多妻結婚を行うことが主に容認されていなかった時代について記録されています。

預言者ジョセフ・スミスもまた,このことを知っていたことを説明します。

例えば,

ニーファイ人の中には,多くの妻をめとっていたダビデやソロモンの話を伝える聖文を引き合いに出して,自分たちの性的な背きの言い訳にしようとする者もいました(

モルモン書ヤコブ2:23-24参照。教義と聖約132:38-39

も参照)。

預言者ヤコブはこうしたニーファイ人たちを,承認されていない多妻結婚を行っているとして強く非難しました。



(主は御自分の民に,
   主にあって義にかなった子供たちを育てる機会をより多く与えるために,
   時として多妻結婚をお定めになる。)


主はジョセフ・スミスに多妻結婚の原則を明らかにされた後しばらくして,預言者ジョセフに末日における「万物」の回復の一部としてこの原則に従って生活するようお命じになる(教義と聖約132:40,45。使徒3:19-21;教義と聖約132:46-50も参照)。

ジョセフ・スミスと親しかった人々によると,
ジョセフは彼らに,
1834年から1842年にわたり一人の神の天使3度もジョセフに姿を現し,
多妻結婚の原則に従うよう命じたと話したとのことです

(「福音のテーマ」

カートランドとノーブーにおける多妻結婚

 の項, 

                topics.churchofjesuschrist.org参照)。



「預言者ジョセフは〔ロレンゾ・スノーに〕胸の内を打ち明け,多妻結婚の導入に際して自分が感じた嫌悪感に対する心の葛藤について話しました。それは,多妻結婚の導入を,それまで受けてきた教育と社会的慣習に照らし合わせればごく自然な感情でした。ジョセフは神の声を知っていました。万能の神から与えられた戒めは,実践する,すなわち,模範を示して……多妻結婚を確立するべきだと知っていました。ジョセフは,自分自身の偏見や先入観だけでなく,すべてのキリスト教界の人々の注目にさらされる状況にも立ち向かい,打ち勝たなければならないことを承知していました。しかし,すべてのものの上にまします神がお命じになったのです。ジョセフは従わなければなりませんでした。それでもなお預言者ジョセフは何度もちゅうちょし,実践を引き延ばしていましたが,とうとう神の天使が抜き身の剣を手にしてジョセフの傍らに立ち,多妻結婚を推進して確立しないかぎり,彼の神権は取り上げられ,滅ぼされると告げたのでした。ジョセフはこの証,すなわち決して否定することのできない証を,わたしの弟だけでなく,ほかの人々にも告げました。」

(Eliza R. Snow, Biography and Family Record of Lorenzo Snow [1884], 69–70)



「ジョセフ・スミスが天使の最初の命令に従い,1830年代半ばにオハイオ州カートランドで多妻結婚の妻ファニー・アルジャーをめとったことが,断片的な証拠により示唆されています。カートランドに住んでいた数人の末日聖徒が,ジョセフ・スミスはスミス宅に住んで働いていたアルジャーと,彼女の同意と彼女の両親の同意を得たうえで結婚したと,数十年後に述べています。この結婚についてはほとんど知られていませんし,アルジャーに関するジョセフとエマの間の会話についてもまったく知られていません。アルジャーとの結婚が離別に終わった後,教会がイリノイ州ノーブーに移るまで,ジョセフは多妻結婚の件を棚上げにしていたようです。」

(「福音のテーマ」「カートランドとノーブーにおける多妻結婚」の項,

          topics.churchofjesuschrist.org)


(ジョセフ・スミスは1840年の秋,多妻結婚の原則を特定の人々にひそかに教えた。やがてジョセフは,ルイーザ・ビーマンという名の女性に結婚を申し込んだ。ルイーザはその申し出を受け入れ,1841年4月にジョセフ・スミスに結び固められた。)



「預言者ジョセフ・スミスが多妻結婚の原則についてわたしに初めて話したとき,わたしは憤りを感じ,その思いをジョセフに伝えました。そのような事柄〔に対して〕感情的にも教育的にも嫌悪感を抱いたからです。ところがジョセフはわたしに,この教義は主によって明らかにされたものであると断言し,わたしもまた,その神聖な起源について,自分で証を得る権利を有すると言いました。」

(Lucy Walker Kimball, affidavit, December 17, 1902, Church History Library, Salt Lake City)


「ああ,どれほど熱心に,これらの言葉が成就することをわたしは祈ったことでしょう。また眠れない夜を過ごし,明け方が近づいたときでした。ひざまずき,熱心に嘆願していると,部屋が聖なる力で満たされました。それはまるで暗黒の雲の合間から,まぶしい太陽の光が差し込むかのようでした。


預言者ジョセフの言葉がほんとうに成就したのです。

わたしの心は,かつて一度も味わったことのない穏やかで心地良い平安に満たされました。

この上ない幸福感が全身に満ちあふれ,わたしは〔多妻結婚〕……に関する真理に対する決して打ち消すことのできない力強い証を得たのです。」

(Lucy Walker Kimball, biographical sketch, undated, 11, Church History Library, Salt Lake City; spelling and punctuation standardized)



教義と聖約132章


132:58-66  多妻結婚に関する律法が明かにされる


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