3Ne 14.5                 3Ne 14.5(eng)

3

なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、

                 自分の目にある梁を認めないのか。

4

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、

『あなたの目からちりを取らせてください』と言えようか。

見よ、自分の目の中に梁があるではないか。

5

偽善者よ、まず自分の目から①梁を取りのけなさい。

そうすれば、はっきり見えるようになって、

                     兄弟の目からちりを取りのけることができるであろう。


①梁= ヨハ8:3-11      ヨハ8:3-11(eng)
 


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Video:お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように




今朝 TVを見ていて  を描けなかった



イザヤ書27.6        27.6(eng)


後になれば、ヤコブは根をはり、

イスラエルは芽を出して花咲き、その実を全世界に満たす。



エズラ記 6.11             6.11(eng)

11

わたしはまた命を下す。

だれでもこの命ずる所を改める者があるならば、その家の梁は抜き取られ、彼はその上にくぎづけにされ、その家はまた、これがために汚物の山とされるであろう。


ハバクク書 2.11-12(13-)         2.11-12(13-)(eng)

11

石は石がきから叫び、梁は建物からこれに答えるからである。

12

わざわいなるかな、血をもって町を建て、悪をもって町を築く者よ。


マタイ 7.4(1-5)   7.4(1-5)(eng)

1

人をさばくな。自分がさばかれないためである。

2

あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、

あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

3

なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

4

自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、

あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

5

偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。

そうすれば、はっきり見えるようになって、

                     兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。



2014年10月

主よ,それはわたしですか

      ディーター・F・ウークトドルフ


自分をしっかり見詰める力

    自分の問題を知るのには苦労することが多い

              他の人々の問題をとてもよく分析して

                     解決法を提言できるのはなぜか



michio😀

2022年11月19日(土)  11:18

私は思い当たる節があれば

       人ではなく  

     自分を見つめるでしょう

確かに他人は気付く

   自分は見え辛い

それは 自分が可愛いから


4つの窓 で 教わった

右の二つの窓がそうだろう



ヤコブの手紙 4.6,10       4.6,10 (eng)

6

しかし神は、

いや増しに恵みを賜う。

であるから、

「神は高ぶる者をしりぞけ、

へりくだる者に恵みを賜う」とある。

10

主のみまえにへりくだれ。

そうすれば、

主は、

あなたがたを高くして下さるであろう。


教訓:

主の答えが,「息子よ,あなたには改善すべきことがある。

そして

あなたが克服できるようにわたしが助けられることがある」というものであれば,

へりくだってこの答えを受け入れ,

罪と欠点を認め,

より良い夫,父親,息子になることによって

         行動を変えるようにしてください。


これから先,救い主の祝福された道を確固として歩むように,

      力の限り努力できますように。


自分をしっかり見詰めることは知恵の初めだからです。



       博多は小雨模様 遠くの脊振も うっすら 


       今日 明日 未来へ続く 命に 感謝



    喜びを 胸に いだき 


                  2022.11.19 12:28






2022.11.23  20:23  追記   wike他より参照

目にある梁

「ちりと梁」は、

 山上の垂訓において述べられたイエスによるたとえ話のひとつで、

 マタイによる福音書7章1節から5節 にかけて記述されている。

 Matt 7.1-5 eng


ルカによる福音書6章37節から42節にかけて

                 記述されている平地の説教にも同様の記述がある。

Luke 6.37-42 eng


この“梁”が象徴しているものは、

この世の常識的な考え、

       偏向した考え、

           先入観、

               思い込み、

                   誤解、

                      刷り込み、

                          洗脳、

                             固定観念、

                                偏狭な考え、

                                   ・・・などではないかと思います。 

このような“梁”が存在している人に限って、
         他人の目にある小さなチリが気にかかって仕方がないものです。

そして、自分では“善意”(?)と思って、

              相手の目にあるチリの存在を指摘してみたり、

              非難してみたり、

              批判してみたり、

           「どうもそれが邪魔のように思うので、

私が代わりにそれを取り除いてあげましょう」などと言って、その人のためにお節介なことをやろうとさえしてしまうようなのです。



  偏見 を棄てて、偽りのない真実を見る目を持つことの大切さを述べたことば。

[由来] 

新約聖書―マタイ伝・七」に見えるイエスのことばから。

   口語訳 では、

「偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。

   そうすれば、はっきり見えるようになって、
                        兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう」とあります。

同じようなことばは、

「新約聖書―ルカ伝・六」にもあります。

   なお、

「梁」は、柱の上に渡して屋根をささえる木材 のこと。

   ここでは、

          目をふさぐ、

                 大きな障害物のたとえです。



                 フムフム  ガッテン  sunQ     






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