ジョセフ.F.スミス
おはようございます
博多は晴〜てます 北には 台風が
昨日 ジョセフ.F・スミス が
15歳でハワイで伝道の記事に
驚きと 御霊の導きに 喜びの 感謝を覚えました
彼の 境遇に これまた 驚愕です
1838.ll.13 ミ ズ ー リ 州 フ ァ ー ウ ェストで生まれる
5歳で父を
13歳でBaptism
13歳で母を
15-19歳ハワイで伝道
21-24歳でイギリスで伝道す
62歳で大管長(第6代)
予見された人は強い
神に守られ導きを受け
改めて読んでみたいと思っています
「わたしはイエス.キ リストの神聖な使命を信じるよう教えられました」
とジョセフ・Fは 後に回顧している。
「わたしはそれを,父と預言者ジョセフ.スミス, そして母から教えられました。......
わたしは少年時代とその後の生涯を通じて,その信仰を守り通してきました。」6
8年9月23日ソ ルトレーク盆地に到着した。
そのとき彼は9歳だった。
スミス家はソ ルトレーク.シティー南部のミルクリークに定住し,
そこで若きジョセフ.Fは
「荷車の御者,家畜の世話,畑の耕作,灌概,刈り入れ,
材木の運搬,脱穀,もみがらのふるい分け,......
〔そして〕雑役」14 な どの骨折り仕事に就いた。
家族は小さな丸太小屋で貧素に暮らしたが,
スミス大管長は後にこう語っている。
「わたしたちはほかの多くの 人々と比べて
それほど劣悪な状態ではなく
また惨めではありませんで した。」15
ジョセフ.Fは熱心に働くこと,自分の義務を果たすこと,
ぜいたくをしないこと,
神をたたえること,
家族が得たすべてのものについて 什分の一を納めることを学んだ。
母親が2か月の闘病の後,51歳で亡くなっ たとき,
ジョセフ・F・スミスは悲しみに打ちひしがれた。
「母が亡 くなってからの18か月間,1852年9月21日から1854年4月まで,
それは わたしにとって危険な時期でした」と後に幼友達に手紙を書いている。
「わたしは引力も重力も作用しない,すい星か流れ星のように,
バラ ンスを失い,
理性の抑制も利かなくなった状態でした。」
13歳にして
「父親も母親も失ったがまったく寄る辺のない境遇ではなかった。」16
ジョセフ・Fが「いつも愛し,
片時も忘れることのなかったマーシ -・F・トンプソンおばさん」17
は引き続き彼を養育した。
1854年4月の総大会において,大管長会は,
間もなく出発する宣教 師の一団に
ジョセフ・Fが加わるよう召されたと発表した。
ジョセ フ・Fは少年時代から培ってきた信仰を行使して,
その召しを「喜ん で受け入れた。」
彼は後に,感謝を込めてこのように回顧している。
「サンドイッチ諸島における4年間の伝道のおかげで,
わたしは心のバ ランスを取り戻し,
その後の人生を律する
行動の原則と範囲を確立す ることができました。」19
ここまで で 今日は 終わります
逞ましく生きた 預言者の 生き様を学んでみたい想いです
今 10:49 3Ne12を 学びます
今日という日
明日という日
未来という日
を 福音と共に 生き 己の成長を 自分自身で 見つめていきたい
神と 共に
イエス・キリストという 師範に 学び
永遠にとの 合言葉をもって
日々の暮らしの中 健康 安全が 守られますように
この👆世の 人々が 信仰がもたらす 祝福に与れますように
心から お祈りいたします
michio😀
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