主に帰依-1
「主に帰依」するとは,
以前の信念体系によって定められた
一連の行動をやめ,
天の御父の計画を信じる信仰と,
イエス・キリストと
その贖罪を信じる信仰に基づく
新たな行動をするようになることを意味します。
アンタイ・ニーファイ・リーハイ人として知られたモルモン書の民は,
「謀反に使う武器……を捨て」,
「武器を使〔う〕ことは決してないことを神……に示す証拠」として,
「地中深く」に埋めました。
michio😀
地中深く 埋めて 捨てた
そのように私達も
醜い悪意にも似た
怨み 妬み 猜疑心
などの 不必要な物を
捨てれるように
願ってやみません
醜い行いが
自制心をゆるがし心のポケットに穴を開け
そのことに気がつかないまま
人生を過ごす事によって
負のマイナスイオンが立ちこめる
* * * * *
そうすることにより,
神の教えに従い,
自分の決意を決して破らないと約束したのです。
この行為は,
「主に帰依」し,
主から決して離れないことの始まりでした。
デビッド・A・ベドナー「主に帰依する」『リアホナ』2012年11月号,106-109参照
この変化は,
福音の教えを知的面で受け入れる以上のものです。
自分は何者かという認識を形作り,
人生の意義についての理解を変え,
神に対する不変の忠誠を引き起こします。
救い主と固く結びつくうえで,
また聖約の道をたどるうえで
障害となる個人的な願望は徐々に消えていき,
天の御父の御心に
身をゆだねるという決意に置き換えられていきます。
主に帰依することは,
神に対する揺るぎない決意に始まるものであり,
その後,
決意を自らの人格の一部とすることが続きます。
そのような決意を自分のものにすることは,
一生続くプロセスであり,
忍耐と継続的な悔い改めを必要とします。
最終的に,
この決意はわたしたちの人格の一部となり,
自己意識に組み込まれ,
生活から離れることがなくなるのです。
何について考えていようと自分の名前を忘れることはないのと同じように,
自分の心に刻まれている決意を忘れることは決してありません。
神は,
古い習わしを完全に手の届かないところに捨てて,
キリストにあって新しい生活を
始めるようわたしたちに求めておられます。
これは,
救い主を信じる信仰を育む中で実現するものであり,
信仰を持つ人々の証を聞くことから始まります。
その後,
主との結びつきをさらに強める行動をすることで,
信仰が深まっていきます。
11:人々が決意し,
それを貫くよう助けるにはどうしたらよいでしょうか
2023.6.5. 12:12
michio😀
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